私の中が満たされる日はいつくるんだろう、と思っていた。それは、満たして欲しいと思っていたのか、たまたま目の前にきてそう感じる日が来るのかはわからないけれど、生きていて満たされている感覚を感じたことがなかった。笑っていても、本当は笑っていなかった。旅行に行っても、なんだか楽しめていない。誰かと一緒にいてもそう。終わってから、もっと楽しめばよかったと思う。どこにいても、誰といても、不足感は常に自分の中にあった。人というものは、こういう感情を出さずに生きているものなのか?
そういう視点でまわりを観察してみると、いや、そうでもないようだ、、、。
この一年半を経て、今思うことは。ないと思っていただけで、あると思うと、あるんだということ。
前の私だったら「え?は?」って思ったけど笑
生まれながらにして、欠けているものはなかった。すべてが満ちていたし、ないと思っていた間も、本当は満ちていた。言葉では聞いたことがあっても腑に落ちない。なんとなく意味はわかるけど、体感はできていない。
でも先日、ぱちっとスイッチが入ったみたいに、体感で、ぶわあああ!っと、満ちていたんだ!!とこの身体で体感することができた。満ちているから、誰かに差し出したとしても減らない。たとえ少し減ったとしても、また自分ですぐ満たすことができる。
幸せを感じることも、楽しいと感じることも、自分を信じることも、穏やかでいることも、誰かに委ねることではなく、私の中でフル充電されている状態で、満ちている。
愛も、何もかもが、自分と対人がいて、物々交換みたいな感覚だった。だから疲弊する。もらったから、返す。あげたから、返ってくるだろう。あれ、思ったより返ってこない。
でもそもそも本質は、『個』として、完結できるものだったんだ。だから、もともとすべて持っているというんだ。満ちていると気付くところから始まって、そこから「他」と関わることが健全で穏やかな関係性が築けるんだ。
子供の頃から知っていたかった。せめて、20代くらいで知っていたかった、、、いやいや、すべては最善のタイミングなのだ。時間がかかってしまったけど、私はここから今度は体現してくいくんだ。
この混沌とした世界で、苦しんでいる人はたくさんいるだろう。
目に見えるもの、見えないもの。ほんの数%の見えるものだけをみて、外側に委ねていたら、穏やかな世界はずっと訪れない。外に求めていた光や希望も、もともと内側にあるんだ、あったんだと体感できたら、世界はまったく違うものになるだろう。
追伸 世界がひっくり返って、私もズッコと椅子から半分ずり落ちている状態の、写真が添付できなくて残念ですw


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